らん③

プーマ

らん③

「プーマ」は一九四八年にルドルフ・ダズラーによって設立されました。
ドイツを本拠地とし、スポーツ用品の製造・販売を行っています。
プーマの原点は一九二四年、ダズラーの弟が設立した制靴工場に参加し、ダスラー兄弟製靴工場という名前をつけ、二人で事業を始めた所です。

一九二八年、一九三六年のオリンピックで、二人が作ったスパイクを履いた選手が、
トータルで金メダル七個、銅メダル五個を獲得、世界新記録・大会記録を更新し二人の事業成功のきっかけとなりました。
しかし、戦争をきっかけに兄弟間に亀裂が生じ、二人はダズラー兄弟製靴工場の資産を分割したのち、それぞれの道を歩むことになりました。
そして、ルドルフ・ダズラーは「プーマ」を設立しました。
同じ年、プーマ初のサッカースパイク「アトム」が発売されました。
その二年後、一九五〇年に開催されたサッカーの試合で西ドイツ代表選手がプーマのスパイクを履き、戦後初ゴール・この試合の決勝ゴールを決めました。
その後もプーマのシューズを履いた選手がメダリストになるなど、国際試合ですばらしい功績を残しています
。一九五二年には「スーパーアトム」というねじ込み式スタッドスパイクを完成させ、サッカー界に存在を知られる事となりました。
その次の年には、スーパーアトムの進化モデル「ブラジル」が発売され、
それを履いたサッカードイツリーグ「ハノーファー九六」というチームがリーグ王者になりました。
六〇年代に入ると、技術的に高度な加硫生産技術を導入し、シューズの靴底と靴軸の結合が可能となり、選手達のもてる力を更に発揮できるようになりました。
一九六四年には、東京オリンピックで有名なマラソンのアベベ選手がプーマシューズを履き金メダルを獲得しています。
70年代に入ると、サッカーのペレが「プーマキング」を履き、ブラジルを優勝へ導いています。
それ以降、陸上・サッカーのみならず、テニス・バスケ選手にもプーマシューズは普及していきました。
近年では、陸上一〇〇Mで有名なウサイン・ボルトがプーマのユニフォーム、シューズを着用し、
世界記録を樹立しており、スポーツ用品のメーカーでは、幅広いシェアを確立しています。

スポーツのイメージが強いプーマですが「ランドセル」も販売しています。「百貨店モデル」と「量販店モデル」があり、
それぞれデザインやパーツなどに違いがあります。百貨店モデルにもさらに種類があり、
大手百貨店の高島屋・三越伊勢丹、その他では、そのお店ごとでプーマ限定ランドセルを販売しています。
それぞれのモデルで共通しているのは、天使のはねが搭載されており、A4クリアファイルがすっぽりと入るようになっています。
また肩ベルトが左右同じ方向に動くので体の中心にランドセルがくるようになっています。
ランドセルの開け閉めをする錠前の部分はワンタッチロックとなります。またそれぞれのモデルの違いでは、
表面はクラリーノで同じですが、百貨店モデルは傷につよい素材を使っています。
プーマのロゴについては、正面と側面についていますが、側面のロゴが百貨店モデルは金具でできていて、
反射材の役目を果たすのに対して、量販店モデルは型押しとなっています。
カバンを開いた所の前面ポケットは、百貨店モデルはWファスナーで量販店モデルはファスナーが一つとなっています。
背負う上で重要な肩ベルトについては、クッションが入っているか無いかの違いです。
そして、このランドセルの重量は、約一〇〇〇グラムと一般的なランドセルより若干軽くなっているので、
背負いやすさを感じると思います。お値段については、百貨店モデルは七〇〇〇〇円代、
量販店モデルは四〇〇〇〇円代となり、百貨店限定商品では、七〇〇〇〇円前後となっています。
「プーマ」は、スポーツ用品からランドセルまで幅広い年齢層に愛用されています。

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